食えない現実召し上がれ

味気ない日々にお砂糖とスパイスと素敵な何かを

イーストボーンの悲劇に終止符を

私の通っていた小学校は4年生でクラス替えがあり、それと同時に担任の先生も変わる制度だった。

3年生までの担任がとても良いベテランの先生だったので、そのギャップもあったのかもしれないが4年からの担任は本当にクソだった。

先生とも呼びたくないので、以下Xと呼ぶ。

Xはガタイのいいおっさんで、オペラを趣味にしているだかなんだかと言って教室に入るや否や歌を歌いだしたのを覚えている。
そして自分が楽しむだけでなくクラスの子どもたちにも合唱を強要してきた。

国語や算数などの授業をまともにやった覚えが正直ない。 小学校の時間割なんてあってないようなものだから、 Xが勝手に合唱にしてしまった時間もあったと思う。

もちろん合唱のために編成されたクラスではないので、 歌や音楽の苦手な子もいれば声の小さい子もいる。

そういう子たちに、Xは体罰と暴言を惜しみなく振るった。

とある男の子のことを怒鳴り散らして胸ぐらを掴み廊下へ引きずり出したのを、私は今でも鮮明に覚えている。 「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら泣く男の子を、ただ私は茫然と見ているしかできなかった。
周りの他クラスにも聞こえていたはずなのに、誰も助けには来なかった。

ほかにも朝顔とかの支柱に使うような細い竹の棒を使って床を叩いて威嚇したり、 実際に子どもを叩いたりもしょっちゅうだった。

合唱練習中に突然音程がおかしいと一人の子を晒しものにしては、前述の竹の棒や 1メートル物差しで叩いていた。

多分実際に音程がおかしいかどうかなんて関係なくて、単に自分が気に食わない子を選んでいただけだと思う。

子どもはそんな恐怖政治に怯えて必死で歌い続けた。真冬でもみんな汗だくだし、無理に大声を出しすぎて貧血を起こす子もしばしば出るほどだった。
X に従ってこびへつらう取り巻きの女の子たちと、徹底的に反抗する男の子たちでクラスは分離した。
ちなみに当時の私は表面上へらへらしておいて裏では心底憎んでいるというとてもイヤな子どもだった。

一応この事は母にも常々伝えていて、それはXが絶対におかしいと何度も言われた。
母はピアノ教室の先生をやっていたので、一般人より音楽への思いが強かった。 だから余計に音楽を 「音が苦」 にしてしまうようなやり方に怒りを覚えていたようだった。
ちょうど家庭訪問がすぐあったので、その時に話をすればいいと母は言ってくれた。

だが、その家庭訪問が地獄だった。 合唱の話を切り出すや否や「なに? 歌嫌いなの?」と私に圧をかけてくる X。私は思わず押し黙った。 あんなに長い 1 秒は今までもこれからもないと思う。 というか小学4年生にそんな威圧感を与える時点で小学校教諭以前に人としてどうかしている。 母にも自分はオペラのコンクールにも出て実績があるんだから云々などと言ってきたらし い。

母はこの家庭訪問で「こいつはダメだ」と感じたらしく、最終的には様々な証拠を集めてマスコミへ体罰問題をリークした。
私も了承の上だった。私自身、Xから叩かれたこともあったし、こんな罵声と泣き声の飛び交う教室に毎日行くのは限界だった。
地元には割と大きく出たし、一応全国ニュースにもなった。2ちゃんには今もスレの過去ログが残っていて、
『最近の子どもは軟弱だ』『こんなんでPTSDならなんでもPTSDになるわな』『この子は体罰受けてないんでしょ? 目撃だけでショック受けてるとかこの先やっていけなさそう』とか、まぁいつも通りの誹謗中傷と嘘八百が書かれていた。

Xは体罰を認めはしたものの、「悪意があったわけではなく、熱が入ってしまい結果と して行き過ぎた指導になってしまった」みたいな言い草だった。 校長も教頭も私と母との面談時は親身になって話を聞いているような感じだったのに、いざとなったら組織を守るために必死になっていた。

数日後に時保護者会が開かれたが、そこでも「Xは悪くない! 愛のムチだ! どんどんやれ! 耐えられないほうがひ弱なんだ!」と言い張って拍手を集めた保護者がいたとかなんとか母から聞いた。

クラスメイトからも私が悪いみたいなことを言われ、親友だと思っていた子にすら無視されるようになった。

こんなわけで幼いながら私はすっかりふさぎ込んでしまい、不登校になった。 母もあんな学校には行かなくていいと言ってくれた。 結局、Xは3カ月の処分が下ったきりでその後は何事もなかったかのように教壇へ戻ったようだった。 なんなら今も教壇に立っているようだし、 地元の合唱団の講師もしているらしい。

一方、 私は母に連れられて人生初の心療内科PTSDと診断された。

まぁでも引っ越しして転校すればXとの問題とはおさらばだし、 ということでこの診断を母はあまり深刻にとらえていなかったようだ。

まぁでも当たり前ながら転校先でも私はうまくいかなかった。
すでに出来上がっている仲良しグループに転校生の私はなじめなかった。
だから、小学校時代の友達は全くいない。 当然連絡先も知らない。
それにまたしても先生に目をつけられた。
当時の私は不登校の割には頭がよかったし、 よく本を読んでいたので周りの子たちに比べて色々なことを知っていた。
大人の汚さとか、社会の嫌なところとか、知らなくてもいいことまで知っていた。

だから、授業やテストでまだ習っていない内容に触れたり、休み時間の会話でもやけにませていたりするのが気に食わなかったんだと思う。
それに運動会や音楽会といった行事ごとは心身の不調でほぼ不参加だったから、協調性がないとみなされたんだろう。

まぁ、協調性がないのは本当のことだから仕方ないけれど。 この頃の母は「転校させてあげたんだからいいでしょ」といった具合で私の気持ちに添ってくれなくなった。

とりあえず学校に通っているんだからいいだろうと思ったらしく、精神科にも連れて行ってくれなくなった。

学校を休みたいと言ってもダメだと返されるので、私の逃げ場はなくなった。

そして、私はついにリストカットとODを始めた。 知ったのはインターネットの、いわゆる「自殺系サイト」と呼ばれていたホームページから。
初めてのリストカットはかなり緊張した。
ODはもっと緊張した。

この体罰事件が、私のメンヘラ化の根源だと思っている。

でも、今の時代『体罰は悪だ』という主張が一昔前よりは通りやすくなってきて本当によかったと思う。
法律でも体罰はダメだと明記されるようになったし。
マジで体罰は脳を破壊する。