食えない現実召し上がれ

味気ない日々にお砂糖とスパイスと素敵な何かを

おなかすいた

食欲が憎い。

食べたくないのに食べてしまうのが本当に嫌だ。

死にたいと言いながら生きるための行動をしているなんて本当に馬鹿げていると思う。

本当なら何も食べないで水やお茶だけを口にしていたい

堂々とかわいい服を着て外を歩きたい。
『華奢』 という言葉が似合うようになりたい。

……そんな理想とは程遠く、 私は自分で自分の食欲を制御できていない。

ゆえにずっとデブ。

甘いものが好きで食後のデザートがやめられない。 しかもチョコレートとかアイスとか、甘いものの中でもハイカロリーなものが好きだから手が付けられない。 人前では苦手なふりをしているけれど、本当は脂っこいものも好き。

ストレスが限界になるとつい過食。ここ最近はチューイングにしているけれど、根本的な食べ物への執着は断てない。

今はリポドリンやオルリファスト、 メトホルミンなどの個人輸入した薬に頼って食欲をコントロールしている。

でもリポドリンは連続で使いまくると耐性ができてしまうから、週に1〜2日は飲まずに我慢する。

基本的には朝に野菜スープや鍋をお椀1杯分と、卵に納豆や果物、お菓子を少し食べてリポドリンを飲みその後はお茶や水だけでしのぐ。

ただ、家族が何か買ってきて食べろとしつこく勧めてきたり、外食に連れ出されたりするとやむを得ず食べる。

コロナのおかげで職場の忘年会とか歓送迎会がなくて本当に助かった。

それでも食べてしまったらできるだけ吐くか、 うまく吐けなかったらメトホルミンとオルリファストを飲んで運動し、必死にカロリー消費しようと悪あがき。 運動はリングフィットアドベンチャー

基本的には毎日30~40分続けている。 運動として適切かどうかは知らないけれど、やらないよりはマシ程度の気持ち。

自分の成長が数字や体感でわかりやすいのがうれしい。 ゲームもほめたり励ましたりしてくれるし。

これでなんとかダイエット頑張ろう! と思った矢先、オオサカ堂のページを見たら赤リポが在庫切れになっていた。

ヒステリー起こしそう。 もう10錠くらいしか残りないんだけど〜〜〜!!!???
自分の意志で断食なんてたぶんできないし、やっぱり私は一生デブかも。
もしくはリボドリ ン依存症。

赤い線を引いた

リストカットがやめられない。

高校3年生の間と大学卒業前後から社会人になって数年間は、完全にやめられていた。
のに、 またここ数日で再発してしまった。

きっかけは些細なことの積み重なりだと思う。

母と再婚相手や祖父母にまつわる家族の問題。

今働いている職場でのストレスと、来年3月以降どう働こうかという仕事の問題。 それに関連して貯金や資産運用、確定申告とかのお金の問題。

あとは、彼氏に甘えたいし頼りたいけれど、いつも仕事が忙しそうで全然会えなくてさみしいとか、そういう恋愛関係の問題。

このほかにも色々細かいことが重なりあって、すごくしんどくなってしまった。
誰かに助けてほしいけれど、どう助けてほしいかも自分でわからなくてうまく助けを求められない。

みんな忙しそうだし、 こんなのいつものことだから。
そのたびに助けを求めていたら相手も疲れて愛想を尽かされてしまうだろう。

だから、 そのはけ口がリストカットだった。

ツイッターとかで上げられている画像のようにザックリと深く切ったことはなくて、せいぜい傷口から血がぼつぼつと出る程度。

今は長袖の季節だから傷を隠しやすいのもあって、なかなかやめられないんだと思う。

そうはいっても動くと袖口がズレて傷が見えてしまうこともあるから、ドラッグストアで 買った手首サポーターをずっとつけている。
なんとなく温かいし守ってもらえている感じがして、安心する。

多分、幼いころに母親に手当てしてもらった記憶が思い出されるからかもしれない。
誰か私の心も手当てして……。

どこか遠くへ

年が明けてしまった。
どうしようもないそわそわ感に胸をかきむしりたくなる。
何もできない。
パソコン関係の 資格も取らないといけないし、早く次の就職先も決めないといけないし、引っ越し先も見つけないといけないのに。

やらなくてはいけないことはたくさんあるのに、 ただただ毎日を生きるだけで精一杯。


なんでもいいからとにかく障害者枠で内定が欲しい、という限界就活メンタルな私に「面接の時点でこっちが気を遣いまくりごますりしないといけない職場入っても余計つらくなるだけだし、強気でいったほうがいい」と励ましてくれた親友には心から感謝したい。
本当にありがとう。

どこか遠くに行きたい。
今まで一度も行ったことのないようなところへ行きたい。
でも交通費がもったいないから結局ネット通販で散財して終わった。

こんなのだから私には圧倒的に 「経験」が足りないんだろうな。
せめて日帰りでも小旅行へ行きたい。
その勢いで自殺完遂出来たら最高なんだけれど。

年明け前に彼氏とデートした。
午後3時に待ち合わせの予定が、 午後6時くらいになってしまった。
理由は彼氏が前日深夜まで友達と酒を飲んでいたからとかなんとか。

こっちは前日夜からスキンケアだの洋服選びだのやって胸躍らせていたというのに、ふざけないでほしい。
私は彼氏にとって所詮 『その程度』なんだろうと思わされてつらかった。
ただ、私も私でずるずる不機嫌を引きずったのもよくなかった。
きちんと謝ってくれたんだから、それはそれできっちりおしまいにすべきだ。
メイクが崩れるし見苦しいと必死で泣くのを我慢したけれど、 結局泣いてしまった。

前から欲しがっていたサマンサのお財布ももらったのに、あの時うまく笑えていたんだろうか。
次にいつ会えるかは毎回わからないから、会える時は必ずニコニコ機嫌よくいようと決めているのにうまくいかない。

一度でも人間の食べ物を口にした野生動物は、その味を覚えてしまい一生人間の食べ物を求め続けるらしい。

私も一緒だと思う。

一度わずかな幸せの蜜を味わってしまったから、またそれを味わいたくて必死にあがいている。
毎日嫌なことばかりだし、もらえる幸せはいつだってごくわずかだから満たされることはないのに。

死ぬに死にきれず、生きるに生ききれず。
ただただ惨めで醜いだけだ。

誰か私を殺してほしい。

おしゃれにかわいく

髪を切った。 私はロングヘアなのもあって年に2回しか美容室に行かない。

1回はカット、もう1回はカットと縮毛矯正。
今回はカットと縮毛矯正をしてもらった。
これで2万円くらい飛ぶけれど、1年持つと考えれば安いものだと思う。

指名していた美容師さんが突然退職してしまったので、 今回は別の美容師さんにやってもらった。

少しでも続くと髪がぼさぼさになってしまうから絶対に梳かないで、でも毛先がピシャっとまっすぐすぎるのは嫌だからうまくばらけるように角を取って、といった細かなお願いを私はしている。
それが今までは「いつもので」とお願いすれば済んでいたのがいちいち説明しなければいけなくなったのが面倒だった。

あと、 美容室につきものの会話。 あれがどうも苦手。

縮毛矯正はトータルで3時間くらいかかるので、どうしても話さざるを得ない。

あまりにもしんどくて、前回の縮毛矯正は缶チューハイを飲んで行った覚えがある。
今回は自分で運転しなくてはいけないから、アルコールは飲めずシラフで行った。

たぶんその場はとりあえず話せているんだろうけれど、 夜になると余計なことをしゃべってしまったとかうまく返せなかったとか悩んでしまう。
いわゆる 「一人反省会」の開催。
そのおかげで寝つきが最悪になりサイレースを飲んで無理やり寝る羽目になった。
まあでも結局、髪の毛がきれいになったところでどうせデブスであることに変わりはない。

ここ最近はおでこの肌荒れがひどいから、余計にみっともない。
やっぱり老いる前に、早く死にたい。

最期にとびきりおしゃれにかわいく、死にたい。

センチメンタル・アマレット・ポジティブ

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うさぎちゃん、という私と同い年の女の子がいた。ほっそりしていてロリータ服の良く似合う、本当にかわいい、私の憧れみたいな女の子だった。
そして、彼女は典型的なメンヘラ女だった。何度もODとリストカットと自殺未遂と精神科病棟への入院を繰り返し、2017年6月17日に自殺を完遂した。
直接会ったことはないけれど、LINEも交換して電話もしたことがあるし、週に1度はやりとりするそこそこの仲良しだった。
今回は彼女のことを、書き留めておきたい。
ネット墓標のようなものとして。何もできない私からの、せめてもの弔いとして。

知り合ったのはTwitter。たしかメンヘラ一方通行botの管理人が彼女だったのがきっかけ。たぶん高校3年くらい?
しばらくはTwitterの相互フォローってだけで、特に絡みがあるわけじゃなかった。
私が一方的にブログ読むとかはしてたけれど。

それから少しして、おそ松さんにお互いハマって、推しも一松で一緒だとわかったあたりでよく話すようになった。

うさぎちゃんのお母さんが私と同郷で実家もあるとのことだったから、いつか会えたらいいねなんてことも言っていた。……結局叶わなかったけれど。

うさぎちゃんはとにかくかわいいものが好きで、お洋服やアクセサリーなんかはかなりの数を持っているみたいだった。中には高価なブランドもあったし、そもそもロリータ服というものは総じて高い。……そのお金は援助交際や箱ヘルをして稼いでいた様子。家からの支援も多少はあったようだけれど、やはり申し訳ないという気持ちが強くて使いづらいみたいだった。
私の母がハンドメイドでアクセサリーを作っているというツイートを見たらしく、ガラスの靴のイヤリングを母から買ってくれた。そこからうさぎちゃんは私の母とも多少つながりはあってLINEは知っていた。だから、私が自殺を決行したときうさぎちゃんが母に連絡をしてそこから事情を知ったと聞いた。

うさぎちゃんは私以上に気分の浮き沈みが激しい女の子だった。双極性障害摂食障害境界性人格障害だと本人は確か言っていたと思う。左腕のみならず右腕や脚(太もも付け根あたり)まで結構な傷を作っていたり、ブロン等の薬をODしたり、スニッフしたりしていた。
薬を飲みすぎたり、リスカやアムカをやりすぎたりして病院に運ばれ入院することになったというツイートも複数回見かけた。
どこだかの大学の文学部へ進学はしたけれど、結局通えなくなり休学からの退学だったと思う。
将来は家業(おそらく神社仏閣?)を手伝うみたいなことを言っていた。
「もう死ぬ」みたいなことは何度となく言っていたから、また自殺したとしても未遂に終わってきっと帰ってくると思っていた。
何かしらリプライを送ってあげればよかった、と思うけれど今でもなんと声を掛ければよかったのかはわからない。

うさぎちゃんはバイセクシャルだったようで、男女の恋人がそれぞれ1人いた。
女性の恋人のほうとは当時うさぎちゃんを通じて相互フォローになって、今もそのままつながっている。ほとんど話したことないけれど。
男性の恋人のほうはアカウントだけはうさぎちゃんが晒していたから知っている程度で、特に接点はないままだった。まぁ、友達の彼氏のTwitterをフォローするのも変だと思うし。
……どうもその恋愛関係がこじれたのが、自殺の一因だったんじゃないかと私は思う。
メンヘラ女というのは私も含め依存心が強くて、いざ別れるとか少し距離を置きたいとなると自分のすべてを否定され見捨てられたような気分になってしまう。
そういう鬱の極限みたいな状態から少し回復して行動力が出ると、さぁ死のうとなるんだろうなと思う。突発的自殺のほうが計画的自殺より勢いがあるから、余計に完遂率が上がりそうな気がする。

深夜に歩道橋から飛び降りて、それまではまだ生きていたらしい。偶然通ったトラックに轢かれて、亡くなったとうさぎちゃんの恋人(女性)から聞いた。
私が知ったのはなくなってから数日後。大学の授業をサボってTLを流し読みしていた時で、ただ茫然とするだけだった。少しトイレで泣いたような気もする。

でも、私は非常に性格が悪いのでひとしきり悲しんだ後、『ずるい』という感情をおぼえた。
……私の自殺は邪魔しておいて、自分はさっさと死んじゃうなんて。ずるい。私も死にたかった。

結局私は生き残ってしまい、うさぎちゃんは亡くなった。だからこうして、命日でもなんでもない日だけれど思い出す。

思い出して、せめて私の中だけでも死なせないように。

イーストボーンの悲劇に終止符を

私の通っていた小学校は4年生でクラス替えがあり、それと同時に担任の先生も変わる制度だった。

3年生までの担任がとても良いベテランの先生だったので、そのギャップもあったのかもしれないが4年からの担任は本当にクソだった。

先生とも呼びたくないので、以下Xと呼ぶ。

Xはガタイのいいおっさんで、オペラを趣味にしているだかなんだかと言って教室に入るや否や歌を歌いだしたのを覚えている。
そして自分が楽しむだけでなくクラスの子どもたちにも合唱を強要してきた。

国語や算数などの授業をまともにやった覚えが正直ない。 小学校の時間割なんてあってないようなものだから、 Xが勝手に合唱にしてしまった時間もあったと思う。

もちろん合唱のために編成されたクラスではないので、 歌や音楽の苦手な子もいれば声の小さい子もいる。

そういう子たちに、Xは体罰と暴言を惜しみなく振るった。

とある男の子のことを怒鳴り散らして胸ぐらを掴み廊下へ引きずり出したのを、私は今でも鮮明に覚えている。 「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら泣く男の子を、ただ私は茫然と見ているしかできなかった。
周りの他クラスにも聞こえていたはずなのに、誰も助けには来なかった。

ほかにも朝顔とかの支柱に使うような細い竹の棒を使って床を叩いて威嚇したり、 実際に子どもを叩いたりもしょっちゅうだった。

合唱練習中に突然音程がおかしいと一人の子を晒しものにしては、前述の竹の棒や 1メートル物差しで叩いていた。

多分実際に音程がおかしいかどうかなんて関係なくて、単に自分が気に食わない子を選んでいただけだと思う。

子どもはそんな恐怖政治に怯えて必死で歌い続けた。真冬でもみんな汗だくだし、無理に大声を出しすぎて貧血を起こす子もしばしば出るほどだった。
X に従ってこびへつらう取り巻きの女の子たちと、徹底的に反抗する男の子たちでクラスは分離した。
ちなみに当時の私は表面上へらへらしておいて裏では心底憎んでいるというとてもイヤな子どもだった。

一応この事は母にも常々伝えていて、それはXが絶対におかしいと何度も言われた。
母はピアノ教室の先生をやっていたので、一般人より音楽への思いが強かった。 だから余計に音楽を 「音が苦」 にしてしまうようなやり方に怒りを覚えていたようだった。
ちょうど家庭訪問がすぐあったので、その時に話をすればいいと母は言ってくれた。

だが、その家庭訪問が地獄だった。 合唱の話を切り出すや否や「なに? 歌嫌いなの?」と私に圧をかけてくる X。私は思わず押し黙った。 あんなに長い 1 秒は今までもこれからもないと思う。 というか小学4年生にそんな威圧感を与える時点で小学校教諭以前に人としてどうかしている。 母にも自分はオペラのコンクールにも出て実績があるんだから云々などと言ってきたらし い。

母はこの家庭訪問で「こいつはダメだ」と感じたらしく、最終的には様々な証拠を集めてマスコミへ体罰問題をリークした。
私も了承の上だった。私自身、Xから叩かれたこともあったし、こんな罵声と泣き声の飛び交う教室に毎日行くのは限界だった。
地元には割と大きく出たし、一応全国ニュースにもなった。2ちゃんには今もスレの過去ログが残っていて、
『最近の子どもは軟弱だ』『こんなんでPTSDならなんでもPTSDになるわな』『この子は体罰受けてないんでしょ? 目撃だけでショック受けてるとかこの先やっていけなさそう』とか、まぁいつも通りの誹謗中傷と嘘八百が書かれていた。

Xは体罰を認めはしたものの、「悪意があったわけではなく、熱が入ってしまい結果と して行き過ぎた指導になってしまった」みたいな言い草だった。 校長も教頭も私と母との面談時は親身になって話を聞いているような感じだったのに、いざとなったら組織を守るために必死になっていた。

数日後に時保護者会が開かれたが、そこでも「Xは悪くない! 愛のムチだ! どんどんやれ! 耐えられないほうがひ弱なんだ!」と言い張って拍手を集めた保護者がいたとかなんとか母から聞いた。

クラスメイトからも私が悪いみたいなことを言われ、親友だと思っていた子にすら無視されるようになった。

こんなわけで幼いながら私はすっかりふさぎ込んでしまい、不登校になった。 母もあんな学校には行かなくていいと言ってくれた。 結局、Xは3カ月の処分が下ったきりでその後は何事もなかったかのように教壇へ戻ったようだった。 なんなら今も教壇に立っているようだし、 地元の合唱団の講師もしているらしい。

一方、 私は母に連れられて人生初の心療内科PTSDと診断された。

まぁでも引っ越しして転校すればXとの問題とはおさらばだし、 ということでこの診断を母はあまり深刻にとらえていなかったようだ。

まぁでも当たり前ながら転校先でも私はうまくいかなかった。
すでに出来上がっている仲良しグループに転校生の私はなじめなかった。
だから、小学校時代の友達は全くいない。 当然連絡先も知らない。
それにまたしても先生に目をつけられた。
当時の私は不登校の割には頭がよかったし、 よく本を読んでいたので周りの子たちに比べて色々なことを知っていた。
大人の汚さとか、社会の嫌なところとか、知らなくてもいいことまで知っていた。

だから、授業やテストでまだ習っていない内容に触れたり、休み時間の会話でもやけにませていたりするのが気に食わなかったんだと思う。
それに運動会や音楽会といった行事ごとは心身の不調でほぼ不参加だったから、協調性がないとみなされたんだろう。

まぁ、協調性がないのは本当のことだから仕方ないけれど。 この頃の母は「転校させてあげたんだからいいでしょ」といった具合で私の気持ちに添ってくれなくなった。

とりあえず学校に通っているんだからいいだろうと思ったらしく、精神科にも連れて行ってくれなくなった。

学校を休みたいと言ってもダメだと返されるので、私の逃げ場はなくなった。

そして、私はついにリストカットとODを始めた。 知ったのはインターネットの、いわゆる「自殺系サイト」と呼ばれていたホームページから。
初めてのリストカットはかなり緊張した。
ODはもっと緊張した。

この体罰事件が、私のメンヘラ化の根源だと思っている。

でも、今の時代『体罰は悪だ』という主張が一昔前よりは通りやすくなってきて本当によかったと思う。
法律でも体罰はダメだと明記されるようになったし。
マジで体罰は脳を破壊する。

あなたがしてくれないから

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母が昨年3月に再婚した。
これで3度目の再婚。

さかのぼれば私の父親と結婚する前から、母に言い寄ってきていた人だと聞いた。
なんと年収は1000万弱らしい。母がきっとそこに釣られたであろうことは明白だ。
出会いのきっかけは母がやっていたピアノ教室の生徒だったことだそう。

出会った当時はまだ仕事が安定していなかったので経済的な魅力がなかったのと、母以外にも別の 女性がいるということをほのめかされて冷めたから結婚まで至らなかったらしい。

一方、私の父は熱狂的で母でなければだめだと土下座までしたようで、その心意気に惹かれたそうだ。
加えて、母はずっと祖父母から「婿を取れ、 婦に入ってくれる人でないなら 結婚は承諾しない」 と幼いころから言われていたらしく、それも影響したようだった。
父は長男だったが、周りの反対を押し切って婿に入ってくれたと聞いた。
まぁ、結局父とは 結婚後に多額の借金があるとわかったのが原因で別れたけれど。
私を妊娠している状態で離婚になったので、私は父の顔さえ知らずに育った。

初めて会ったのは18歳のとき、高校を卒業して大学へ入学するときの保証人を頼むため。
高校の際は祖父に頼んだのだが、事あるごとに「俺が保証人をやってやったんだぞ」としつこく言われるのでうんざりだった。
あと養育費の振り込みを滞納されたので、それを払わせるため。私に直接会えば多少効果があるのでは母はと見込んだらしかった。結局払わなかったけど。

最後に会ったのは私が21歳で自殺未遂したとき、病院でだったと思う。
薬が回っていたのもあってその場で大したことは話さなかったけれど、メールで後日「よくも母を孕ませたな、私は生まれたくなんてなかった。それから養育費滞納した分ちゃんと全額払え」 みたいな恨み節を送り付けたような覚えがある。
あとはそれきりで、全く連絡を取っていない。
こんな感じだから、 私に父親はいないものだとずっと思っている。

ちなみに、母は私が小学3年生くらいのときにお見合いで知り合った人と再婚した。
しかし、その人は極度のマザコンかつロリコンで、まだ幼い私に手を出そうとしてきたので即離婚となった。
その期間に担任から体罰を受けて不登校になるとか色々あったけれど、 それはまた別の機会に。

そうして今回の再婚となったわけだが、今回も今回で離婚の危機に直面している。
はじめは私もその再婚相手と一緒にアパートで暮らしていたのだが、 入籍して1か月もしないうちに追い出された。

再婚相手と私との板挟みで母も悩んだようで、私と同じかかりつけの精神科の医師に相談したらしい。
すると精神科医は母に 「娘さんに出て行けと 言えばいい、もういい大人なんだし。 普通母親が再婚したら出ていくもの」 と言われて私 を追い出すことに決めたそうだ。
医者がなんでそんな患者の個人的な家庭事情に口挟むん だ、とか、 普通っていうけどそれはあなたの主観ですよね? とか色々言いたいことはあるけれどとりあえず置いておく。

そんなわけで私はしかたなく実家に戻って生活を続けたが、 アパートでの夫婦二人きりで の生活はどんどん歪んでいき最終的には母も実家へ戻り別居となった。
実家にはすぐ帰ったわけではなくて、 2週間くらいは私が手配したホテルに泊まっていた。

その間私は母の話を聞いたり、母と祖父母との間に入って実家に帰れるよう話をつけたりと奔走していた。
三度目の結婚でうまくいかないとなると祖父母の攻撃はより苛烈だから、事情を説明しないと安心して暮らせる環境には程遠いから。
まぁ、『した』というよりは『させられた』というほうが正しいかもしれないけれど。

なんと私が出て行ってから、 母と再婚相手は月に40回以上セックスをしていたらしい。
というか、母は身体も心も持たないので拒んでいたところを再婚相手のほうが強引に迫っていたようだ。
母も母でそういう知識が全くなく、「夫婦になって養ってもらっている以上はしかたない、妻の務めだ」と諦めていたとのこと。

私を追い出そうとしたのも再婚相手がうるさかったからで、その場では自立させろなんだのと言っていたが本音はセックス三昧のためだ ったようだと聞かされた。
さらに再婚相手はかなりの酒豪で一升瓶が3日と持たないうえ酔うと暴言がひどいとか、 年収は1000万なのに預金通帳を見たら貯金が50万円前後しかなかったとか、まぁとにかく問題だらけだった。

はじめは母も何とか我慢していたが、 明らかにおかしいと思ったので私がDV相談プラスやら婦人相談の電話番号を教えた。
電話相談をしてやっと洗脳が解け母は正気に戻ったようだった。
のちに再婚相手が発達障害傾向であることがわかったので、そこら辺の話も私が聞いてはアドバイスをしている。

ここ最近も祖父母に陰口をたたかれたとか言って一緒にホテルへ逃げ込んだり、再婚相手からラインで無理心中をほのめかされて警察に相談に行ったり……。
とにかくいろいろありすぎた。

正直、もう精神が限界。
毎日8時間以上寝ても疲れが取れなくてとにかくつらい。
本当は 休職したい。
職場に行くのがまずつらい。
でもこんなことを上司に相談するわけにもいかないし、しかたなくよろよろと毎日出勤している。
おまけにメールやテレフォンレディの 仕事すらまともにできていない。
週末はとにかく寝ているだけ。
外出する気になれない。

母の悩みや愚痴は私が聞いたりアドバイスしたりしているし、生活費は曲がりなりにも再婚相手が出してくれている。

けれど、 私のことを助けてくれる人はひとりもいない。
肉体的にも、精神的にも、経済的にも。
私が「助けて」と言ったらすぐに私に駆け寄って、 そばにきて助けてくれる人はいない。
けっこう私なりに人生頑張ったつもりだけれど、このザマだ。
高校のクラスメイトのインスタやツイッターをちらっと見ると、私より大した苦労はしてないだろうにキラキラしていて虚しくなった。ヴィトンのバッグと東京の街並みとバッチリデパコスメイクの笑顔が眩しい。

結局全部自分で何とかするしかないから、 とりあえず庭のすみっこで数年ぶりにタバコを吸った。
あまりおいしくはなかったけれど、 少し頭がぼんやりした。
わずかでも寿命が縮んだと思うと嬉しくなった。